まともな枝野代表
本日はこちらのニュース。
菅義偉官房長官が「自助・共助・公助」というフリップを手に自身の政策を訴えられていました。それに対して立憲民主党の枝野代表が真っ当な批判をしていました。
枝野氏は「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」と語り、対決姿勢を鮮明にした。
まさしくそのとおりであると思います。特に今回のコロナ禍では働きたくても働くことができない人や利益が減少しお店をたたまざるを得ない人がたくさん出てきています。
そういう人たちに手を差し伸べることができるのが政府であり政治家の仕事であると私は思います。そもそも論としてそういった人を生み出さないことが一番大切であると思います。
具体的にいうと企業への粗利補償をしていれば、お店をたたむことも減っていたでしょうし、労働者の首を切る会社も減っていたでしょう。
もっといえば非正規雇用を増やしてしまったことで経済ショックが起きた時に失業者が一気に増えてしまうという不安定な社会を作ってしまったのも政府の責任です。
日本は借金であふれているからと緊縮財政を行ってきた結果、政府のせいで不幸になってしまった、人生をめちゃくちゃにされてしまった人が大勢います。
例えば公共事業。「公共事業はムダだ」というレッテルを貼り、災害大国であるにもかかわらず、ダムは作らない、堤防は作らない、電柱の地中化も行わない。結果、災害による死者、被害者は後を断ちません。
いくら死者、被害者が出たとしても大規模な公共事業を行おうという機運はあまり高まらず、「ハザードマップがー」「そんな場所に住むことがー」と被災した人に非があるような言い方をする。
すべての国民を災害から守ることはできるとは思いませんが、政府は国民の生活を守ることが仕事ではないのか、まさしく枝野代表のおっしゃる「責任放棄」です。
お金に目が眩むのも分かりますし、権力に媚びたくなる気持ちも分かります。人間そんなに強くないですから。それでも政治家を志す人間は、国民のため、国家のため、信念をもって活動するべきではないでしょうか。政治家は人の人生を左右してしまうんですよ。政治家は人を殺すような政策も出来てしまうんですよ。だけどそれだけの力があるから国民の生活を守る、豊かにすることもできるわけです。
生きるのが辛い、未来が見えない、そんな人を生み出し続け、それをその人の弱さであるとしてしまう政府に対して国民はもっと声を上げてもいいんじゃないかと私は思います。
国民の生活を第一に考えるという当たり前の政治を取り戻せることを祈ります。