HSPと自己責任社会
今日も本の紹介。
この本を読んでおりまして色々と思うことがあったので書いていこうと思います。
HSPとはなんぞや
まずはじめにHSPの説明から。
音や光、色彩、そして人間関係にとても敏感に反応する人がいます。
これが先に紹介した「HSP(Highly Sensitive Person)」、つまり「とても敏感な人」のことです。(P.31)
本でも述べられていますが、ざっくりいうと「チョー敏感な人」です。
会話していて少し相手の言い方が強かったりすると、
「何か気に障ることいったかな」
「あんまりしゃべらない方がいいかな」
とか変にいろいろと勘ぐってしまい、ぐったりとしてしまうような人もHSPの気質があると思います。
人口の大体20~30%くらいの人がHSPに分類されるようです。
社会全体で見れば、HSPでない人の方が圧倒的に多いのでHSPの人は人知れず生きづらさを抱えて生きていくんですよね…。
HSPと自己責任社会
本を読んでいてハッとした一文がこちら。
現代社会は「がんばる私はエラくて、立派」というイメージであふれていますが、それは本当でしょうか。(P.72)
いやもう本当にその通りだなと。
誰もが「努力しなければいけない」「今のままではいけない」「このままでは変化の激しい時代に生き残れない」という考え方に触れたことがあるのではないでしょうか。
これは結局「自己責任社会」の象徴ではないかと思いました。
個々人が努力しないと勝ち残っていけない。
もちろん努力することを否定はしませんが、努力や競争を望んでいない人まで巻き込んでしまっている現状、どんどんとサバイバル化してしまっていることを危惧してします。
HSPの人はこういう社会の空気にも敏感なので、社会から外れてしまっている自分、社会に適合できない自分というのに強い負い目を感じてしまうのではないかと思います。
生きづらさを抱えながら
「自己責任社会」はモーレツに努力することを求めます。
そうしなければ生き残れないと言わんばかりに。
そのレールに乗って成功する人もいれば、失敗する人もいます。
うつ病になる人なんかは、エネルギーに溢れ、果敢にチャレンジするも背負いきれなくなって再起不能になってしまうという事例も多いそうです。
HSPの人には色々と敏感な分、相手を気遣うことができ、優しい人が多いそうです。
だからこそ何が何でも自分が一番になる、相手を蹴落としてでも自分が成功するんだ、という「自己責任社会」というのは合わないと思います。
「自己責任社会」は私たちの望んでいた社会なのでしょうか。
まとめ
私自身もHSPっぽいところが多々あります。特に人間関係は友達であっても色々と気を使ってしまいます。(気を使っていると思われたくないので何もしませんが(笑))
あと、ブログ書いている時なども同じ部屋に誰かがいると途端に集中できなくなってしまいます。
まだまだ学び始めたばかりなのでこれからHSPを生かせる道を模索してみたいと思います。
自己責任社会からの転換を祈ります。