Salvation~世を治め民を救う~

読書感想文を主に書いています。政治・経済やメンタルなど健康に関するもの、小説などを取り上げることが多いです。

正義と不安

本日はこちらの記事。

 

gendai.ismedia.jp

 

4月7日に発出された、新型コロナウイルスの感染拡大に伴う政府の緊急事態宣言が5月25日に解除され、社会もようやく元の生活を取り戻しつつある。だが、6月3日には東京都で34名の感染者が確認されたことから、都知事は独自の「東京アラート」を出し、都民によりいっそうの警戒を呼びかけた。

そんな、誰もが先行きに不安を覚える状況を反映してか、営業自粛や移動制限を過剰に解釈し、ルールの解釈が自分と異なる他人に対して嫌がらせをするなどの行き過ぎた行動をとる、いわゆる「自粛警察」も一向にその数が減らないのだという。しかしこのようなことは、いまに始まったわけではなく、75年前の戦時中にも似た例があった。いつか来た道、「歴史は繰り返す」のか――。

 

この記事を引用して正義や不安について話したいなぁと思います。

 

正義は麻薬

 

いつしか「自粛警察」と呼ばれるようになったこんな嫌がらせに、正義などあろうはずがない。だが、嫌がらせをする当人は、それが正しいことだと信じ、使命感からやっているつもりなのだろうから始末が悪い。正義はときに人を酔わせ、簡単に暴走させる、麻薬のようなものだ。

 

「自粛警察」なんて言葉が出来てしまうくらい過剰なまでに「他者に自粛を要請する人々」が出てきています。

正義という仮面を被れば何をしてもいい、だって俺は正義のために、みんなのために行っているのだから、という論理と思うのですが、それってどうなの?と思います。

 

過度な自粛をその人が自身がするのはいいのですが、それを他者に求めるのは違う。

欧米のように都市封鎖を命令されているのであれば、まだ「自粛警察」が出てくるのは分かります。違反した行為になるわけですから。

しかし、日本では強制ではなく要請ベースであくまで「自粛」なんですよね。

自分で最終的には判断してねと言っているのだから、人の自粛に口を出す「自粛警察」はおかしい

文句を言うのなら、要請ベースで自粛を求める政府に言うべきではないでしょうか?

 

不安を正義で発散する

「自粛警察」といった人々はおそらく不安に塗れていると思います。

連日のマスコミの報道なのか、身近でコロナウイルスが原因で亡くなった方が出たからなのか、理由は分かりませんがとにかく不安なんだと思います。

その不安の発散、解消の仕方として「正義」の名のもとに近場にいる叩きやすい人を叩くという行動に出ているのではないか思います。

政府に文句を言ってもおそらく変わらないだろうし、そもそも声が届くかどうかも分からない。目に見えてこないんですよね。だから目に見える形で不安解消となったとき、「自粛警察」が生まれるのではないか、と。

 

不安との付き合い方にその人が現れる

誰しもが今までの生活とは異なった生活を強いられるようになり、少なからず不安やストレスを抱えていると思います。

そういった不安をどういう形で解消するのか、どう向き合っていくのか、付き合っていくのかというのはコロナに限らず重要なことと思います。

「正義」を振りかざすことで発散する人もいれば、周りには迷惑をかけずに自己との対話で解消していく人もいるだろうし、何か全く別のこと趣味などで解消する人もいるでしょう。

どんな方法でも解消できているうちはいいのかもしれません。

不安に押しつぶされて、心がどんどんとすり減っていってしまう人もいると思います。

改めて自分の不安解消法、ストレス耐性を見直すいいきっかけにもなるんじゃないか思っています。

 

まとめ

いつもとは全く違う切り口から書いてみました。

というのも私自身が就職活動で不安を抱えているからこういう記事を書こうとしたんですよね。

不安が頭の中に占める割合が増えてくると、いつも通りの生活ができないし、パフォーマンスは落ちるし、余計につらくなっていくという負のスパイラル…。

誰にでも心の波はあると思いますからうまく乗り越えていきたいなと思います。

 

多くの人の不安が解消されることを祈ります。