「ゾンビ企業」論は緊縮財政の一環
「ゾンビ企業」って聞いたことありますでしょうか?
ゾンビ企業(ゾンビきぎょう、あるいはゾンビ会社、英語: Zombie company)とは、経営が破綻しているにもかかわらず、銀行や政府機関の支援によって存続している企業・会社のことである。
コロナによって売り上げが落ちた企業に対して政府は支援をしているわけですが、そういった企業の中でも、「政府に頼らないとやっていけないような企業」を特にゾンビ企業というのかと思います。
「ゾンビ企業」論
そしてこのコロナ禍でいわゆる「ゾンビ企業」を救うのはやめた方が良くないですか?みたいなことを言う人が出てきております。
この問題が悩ましいのは、政策のメリットとデメリットに時間差があることです。「すべてを救え!」の政策は、倒産を減らすのに即効性がある一方、当面、問題は発生しません。短期的にはメリットだけです。
不良債権の発生、構造改革の遅れ、財政問題=増税といったデメリットは、この先2~10年という中長期的に表面化し、深刻化します。
「倒産を阻止するのは短期的にはいいけど、長期的にはデメリットになるからやめた方がいいんじゃない」という趣旨のことを言っております。
構造改革やら財政問題やらを言っているあたりで「何をおっしゃっているのやら」という気持ちが湧いてきますが…。
これに対して中野剛志先生が分かりやすく反論していたので紹介しようと思います。
主に6つの論点があるのですがその中でも私が「確かに!」と思ったものを引用します。
「ゾンビ企業」を潰すとデフレが加速する
第三に、もし、非効率な企業が多数温存されていて、産業構造全体が非効率なのであれば、その国の経済は供給能力が不足するから、本来ならば、インフレになっているはずだ。したがって、仮に「ゾンビ企業」論が正当化できる場合があるとしても、それは悪性インフレの時であって、デフレ時ではない。
非効率な「ゾンビ企業」があるとするならば、供給能力が落ちて需要が満たせないので、インフレになってるんじゃないの?とおっしゃっています。
しかし今の日本はデフレ。仮に「ゾンビ企業」を潰してしまううと、そこで雇われている人は失業し、消費を減らし、さらにデフレが深刻化してしまいます。
企業を淘汰するのはデフレ下で行ってはいけないことなんですよね。
経営の傾かない企業は経済を回していない
第四に、現下のコロナ危機で、政府の支援なしに生き残る可能性がより高い企業は、内部留保がより大きく、資金に余裕がある企業であろう。しかし、内部留保が大きい企業とは、積極的な投資を控え、労働者への分配も抑制して、利益を貯めこんできた企業である。
人材投資、設備投資に熱心であった企業(経済を回していた企業)ほど、内部留保が少なく今回のような危機に直面すると経営が傾いてしまいます。
今回のようなことは誰もが予測不可能なことでした。
なので、企業に責任はありません。
しかし経営が傾いた企業を救わず淘汰してしまえば、経済を回さず、お金を溜め込んでいた企業が残ってしまうので、コロナウイルスが終息した後に景気は確実に悪くなってしまいます。
政府による責任の放棄
こうして、「ゾンビ企業」論は、不況の責任を問う声を政府から逸らし、あろうことか、弱っている民間企業へと向かわせるのである。政府からすれば、まことに好都合な論理ではあるが、その結果としてもたらされるものは、不況の深刻化、そして、より非効率な経済構造なのだ。
コロナウイルスによる経済活動の停止それに伴う景気の悪化は「政府の責任」であるにもかかわらず、政府は企業が倒産、廃業することへの責任を負わないことになります。
景気に良し悪しに政府が責任を持たないというのありえないことです。
さらに、これは緊縮財政の一環ともいえるでしょう。
「政府はお金を使いたくない」だから景気の悪化による企業の業績悪化もすべて企業の責任にしてお金を使わずに、国民が困っていても見捨ててしまうのです。
まとめ
「ゾンビ企業」という言葉を使って企業の倒産を肯定化してしまうことの恐ろしさが分かっていただけたでしょうか?
コロナウイルスによって経営が傾いたのは企業の責任ではありません。
だから、政府はどの企業も同じように助けるべきなんです。
それにもかかわらず、企業を支援することに疑問を呈する考えは、日本経済にとって害でしかありません。
政府に助けを必要としている企業は山ほどあります。
全てお金を払って助ければいいんです。
緊縮財政から転換すること、そして国民を助けることが求められます。
「ゾンビ企業」論は緊縮財政の一環であるという認識を共有してくださることを祈ります。